2020年4月11日土曜日

雑感

私の周辺で言えば、あれだけ人が国内、世界中に移動を要求されてそれに応じ、本来の業務に携わらない人が多く、本務が空洞化していると感じて、それに批判的な立ち位置でいました。それに対して、今、逆に移動しなくても直接対話ができず、対応すべき人が来れない状況で、あたふたしている人の姿をみます。一体何が違うのでしょうか? 留守の間に黙って結果を出してくれていた人がおらず、当たり前と思っていた成果が出てこない。それが致命的だと言うのです。実験室をクローズされたら困るとも言います。しかし、自分のあり方を変えないと、結局、枯渇しそうなインフラを占有してしまいます。世の中の医療インフラを崩壊させないことは一人一人の責任で、あらゆる必要な人に残さないといけません。
今、必要なことは歴然としています。物理的に人が合わないことです。私は、教育を除いて、それが致命的だとは感じていません。そうなるようにこれまで図書館機構でもサポート体制を整えてきてもらいました。幸いにも、職場の大学はVPN接続なしでも文献検索は可能となっています。自宅待機、リモート業務になった時、これがどれだけ意味を持つか、分かっている人は少ないと思います。分散を可能にすることは、中央で全てを抱え込まず、同期せずに時間分割でやり取りすることです。クラウドでもいいですが、別に必要なデータだけ送っても問題ありません。縦の流れでいらないことを求めてきた組織の無駄が、今回明らかになるだけです。
研究室では、既に構成員の計算環境は自宅から可能なように設定をしてもらいました。新しいスタッフが幸いにも長けて、発想力がありました。だから、暫く、方法論を変えて見直す機会にシフトしただけです。そんなに集まってする仕事があったかと疑問に思ってもらえればいいです。研究室では、理論、計算、実験のいずれか二つの一致を見て議論すると言い続けてきました。でも、皆さん理論を避けます。私は、今が良いチャンスと思うばかりです。それだけです。震災と大きく違うのは、世界中が同じ状況だと言うことです。何も自分だけがそこで不利にあるわけではありません。逆に、誰もが考える時間を得ていることの競争だと思います。
心を落ち着かせて、すべきことをして欲しいと願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿