2020年4月5日日曜日

プレプリントの面白さ

プレプリントの意味は速報だけで無く、多方面の観点を提示する事であって、現在の確定を残すことでは無い。作為でなければ間違いがあっても残せば良い。そして、修正を合わせて残していけば良い。論文誌は、最終的に未来へ残す物をキュレーションするが、それが科学の今の可能性を決める物では無い。要するに、論文誌は現状の中心的課題の、現在の技術、理論、計算による論証の正当性を保証するだけであって、当然、将来ひっくり返ることはある。でも、それが健全な科学の活動である。
ここ10年、ある意味既存の考えに盾突き、その研究分野でほぼ干され、哀れみの目で見られ、実証しろとファンドに圧力をかけられた。企業研究費も切られた。助手の頃から途切れる事が無かった科研費獲得も閉ざされた。分野を変えてステルス戦法で獲得するしかなく、結果的にすり減る状況にあった。
これが、憧れた科学技術の世界とは信じたくなかったことから、それを確かめるために学術情報流通のあり方の議論に、図書館、図書館機構の立場から、研究者の立ち位置を維持して加わって来た。これは、自分の精神への補償行為でもあったと思う。この間に得た知識と理解を次の世代に残していくことが、平時の小ネタ稼ぎで成長しない、する気もない研究の世界を改善すると信じて来た。このように思い至った頃に、ジャーナルでは対処できない世界の天変地異が生じた。
現場の危機迫る中で身を削って行う実践報告に、証明せよ、実証しろと迫る研究者の世界は、どこに立ち位置をとっているのだろうか。前例からの演繹は、ローカルにしか、一時的にしか通じない。他を責める前に、自ら実践するあらゆるレベルの活動が、プロの世界のネットワークの健全性では無いか。科学がポピュリズム、報酬にすり寄る悪魔の扉が開く時、不幸が生まれる。その結果、多くの命が奪われる。データの速さ、量、多様性,そして透明性を求める事が大域的な対応に意味を持つ。ジャーナル的、モデルのピンポイントの正しさの検証、既知のモデルありきの重箱つつき、でIFなどとお祭りをしていても仕方がない。Top10%? 何の意味があるのか?自らの評価を上げることに明け暮れた研究者、結託して来た業界が、今、何ができるのか? 全く意味を為さない行為であろう。全てを投げ出して、後の世界を変えてみろ!
幸か不幸か、10年前に立ち上げた研究はほぼ結論を得て、もう誰も手が出せないところまで来た。そんな時に届いたのが科研費採択の通知。これは基礎科学、技術への評価でも支援でもない。結果が見えているものにしか支援しない今のあり方は、もう終わったシステムだろう。この支援を終える頃に、研究者の世界から引退する。それならば、もう一度冒険してみようかと思う。

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